今回は、「人間関係はめんどくさい」と感じて
疲れてしまっているあなたのために、その背景や対処法について、お話しします。
「めんどう・・・なのにさみしい」大いなる矛盾
あなたは、人間関係全般に関して、「めんどくさい」と感じる事はありませんか?
例えば、、
- 職場・学校・ご近所での人間関係は、必要最低限にして深入りしないようにしている。
- 自分の実家や親戚との付き合いはめんどうなので距離をおいている。
といったように、日常的に人とのかかわりを持つことをなるべく避けたり、かかわりは持つけれど必要最低限のやり取りだけするようにして、それ以上関係を深めることは求めていないという人も結構いるのではないでしょうか?
人とのかかわりを避けて生活していると、周りの人間関係は自然と薄くなっていきがちですよね。
すると今度は、
- 気づいたら友人と呼べる人がだんだん減ってきた気がする
- 人間関係はめんどうなのに、いざ孤独だとさみしくて不安を感じてしまう
という状態になって、矛盾する自分の感情につかれてしまうという人は、実は案外いるのではないでしょうか?
私たちはなぜ、こんな矛盾を抱えてしまうのでしょうか?
大いなる矛盾の背景とは?
この矛盾の背景には、「めんどうくさい」が、実は自分を傷つきから守るための「防衛反応」で、面倒くさいと思っている事柄は実は、「自分が欲しがっていること」の場合もある、という意外な事実があるのです。
これは一体、どういうことなのでしょうか?
この記事では、私たちの抱えているこのような矛盾した感情の謎を解明し、人間関係に対するモヤモヤや、苦手意識から解放されるための対処法まで、ご紹介します。
最後までぜひ、読んでいただければ嬉しいです。
めんどうくさいの正体は?
様々な感情の中でも、多くの人が日常的によく感じているのが、「めんどうくさい」 という感情では無いでしょうか?
- 今日は友達と会う約束をした日だけど、いざとなると行くのが面倒くさいな・・・
- お正月に実家に行く予定を組んでしまったけど、親や親戚と会うのが面倒くさいな・・・
- 子どもの保護者会、先生や他の保護者と顔をあわせなきゃならないのが面倒くさいな・・・
- 出社して職場の人と顔をあわせなきゃならないの面倒くさいな・・・
などなど、面倒と感じるシーンて意外とたくさんありますよね?
この「めんどうくさい」という気持ち、深刻な悩みとまではいかないにしろ、意外にストレスを受ける厄介な感情です。
実はこのめんどうくさいの正体は、もうこれ以上傷つきたくないという無意識の感覚であり、
「自分を守るための防衛反応」なのです。
つまりどういう事かというと、、、
その行動をしたら自分が傷つくかもしれないという警戒警報を発し、その行動は自分にとって嫌な結果をもたらすものだ、面倒で避けたほうが良いものだ、という思いを自分に持たせることによって、これ以上傷つかなくても済むように自分を守ろうとしているのです。
「嫌だな」から「傷つくのが怖い恐怖」へ
例えば・・・
- 今日会うメンバーと前に集まった時、自分だけ話題に入れなくて楽しめなかったな。
- 前に親戚で集まった時、親と喧嘩になってしまって嫌な思いをしたな。
- 保護者会に行くと、自分の子どもと周りの子どもをどうしても比べて落ち込んでしまう自分が嫌なんだよな
- 会社に行くと、苦手なあの先輩に反射的に気をつかってしまって疲れるからいやだな などなど・・・・。
一つ一つは小さな、「嫌だな」というささいな感情ですが、それも小さな傷つき体験なのです。
生活の様々な場面で、このようにちょっとずつ傷つき体験が蓄積していくことで、「嫌だな」・・・は「傷つくのが怖い」という 「恐怖の感覚」 にまでつながっていきます。
めんどうくさいの裏に潜む、本当はそれが欲しい
さて、面倒くさいと思っている事柄は、実は「自分が欲していること」であると、さきほどお話ししましたが、それはどういうことかというと・・・
例えば、本当は昔からの友人関係をできれば切らないでいたいと望む思いがあるからこそ友達と会う約束をしたのに、いざ会ったら自分が傷つくかもしれないという無意識の恐怖の感覚があるので、前もって自分が傷つかなくて済むように「望むこと」自体を手放そうとする。
つまり「友達と会うことは傷ついたり嫌な思いをしたりする面倒なことだ。」と自分に思わせ、
「今日の友達と会う約束面倒くさいな・・・。」になるのです。
これが、私たちの抱えている矛盾した感情の正体です。
矛盾した感情・生きずらさ
ではこの矛盾した感情、何となくモヤモヤを感じて生きずらいという悩みを解消するために
私たちに出来ることは何でしょうか?
ここからは、その対処法をご紹介します。
対処法
まず最初に、このように整理してみてください。
めんどうだと感じている事柄について、それは「自分にとっては価値を感じない事なのでただめんどうと感じている」のか、それとも「しなくてはならない、もしくは本当はしたいことなのにめんどうと感じている」のかです。
そのうえで、「しなくてはならない、もしくは本当はしたいことなのにめんどうと感じていること」については、それをすることで自分がどんな感情を味わいたくないと思っているのか?
一体自分は何を恐がっているのか?
と自分に質問してみてください。
(例)保護者会がめんどうくさい
例えば、
「保護者会に出席しないといけないけど行くのが面倒だ」という場合、「時間が長いから。服装を気にしなければいけないから。」等色々と面倒な理由が表面的にはあるかもしれませんが、保護者会に出席することで味わいたくない感情に踏み込んで自分を探ってみると、「自分の子どもと周りの子どもを比べて落ち込んでしまう」のが嫌だと感じていることに気づいたりします。
つまり、「自分が怖がっているのは、劣等感を感じる事」なのだ、という事が整理できるのですね。
そのうえで自分はどうしたいのか?
自分が面倒くさいと思ってしまっていることの本当の正体が分かったら、そのうえですべきなのは、「では自分はどうしたいのか?」と自分に聞くことです。
ただただ、「めんどうくさい」という感情に浸ってしまっていると、それは現実逃避やうつ的な状態に自分を向かわせます。
一方で、めんどうくさいの裏に潜む自分の気持ちを知りそれを認め受け入れる事は、自己否定ではなく、むしろ本当は自分がどうしたいのかという自分の願望を認めそれを少しずつでも実現させようとする、より前向きな自己肯定のプロセスへとつながっていきます。
私たちが生きる上で、全く傷つかないでいるという事は、実際は難しい事です。
傷つきそうなことを全て避けて通る生き方よりは、恐れに無理なく向き合う方法を知っているほうが、日々の人生がはるかに楽になるのではないでしょうか?
「もしかしたら傷つくかもしれない」という恐れが生まれたら、「自分は本当はこれがしたいんだ」という自分の気持ちを確かめるチャンスです。
そうしてそれを繰り返す中で、次は恐れに立ち向かおうとする小さな勇気にさえつながることもあるかもしれません。
対処のヒント
ですから、めんどうくさいをきっかけに、自分が何を怖がっているのか本当は何を望んでいるのかが分かったら、そんな「自分」を、まずはそのまま受け入れていきましょう。
「劣等感を感じてしまう自分は弱い。もっと強くならなきゃ」なんて自分に鞭打って追い込む必要はありません。
まずは自分が「劣等感を感じることを恐れてしまっているんだなあ。本当は自分の事も子どもの事も誰かと比較しないでありのまま受け入れられるようになりたいんだなあ・・・。」と、自分の状態をそのまま受け入れてみてください。
この、自分で自分を受け入れるというステップが、何よりも大きな第一歩となります。
自分はこうあらねばならない、もしくは自分はこうあってはいけない・・・と最終的に自分を縛っているのは実は自分自身なのです。
ですから、その鎖は、当たり前ですが自分がそう決心したときにいつでも、外すことが出来るのです。
傷つき体験を過大評価して、成功体験を過小評価していませんか?
最後にお勧めしたいのは、自分の抱えている傷つき体験を違う視点で改めて振り返ってみるという作業です。
それは、「傷つき体験を過大評価し、成功体験を過小評価している自分がいないか?」をチェックするという作業です。
例えば、ある人が同じ10回の体験中2回だけ傷つき、それ以外の8回では傷つかずに済んだとします。
その体験はその人にとっては客観的には成功体験といっても良いはずなのに、本人は、傷ついた2回を特に過大評価してしまっているので、その体験は最終的に傷つき体験としてその人の中にインプットされてしまっているのです。
傷つかなかった、大丈夫だった経験のほうがはるかに多いのに、それは過小評価しているという状態です。
これは、傷つくことから自分を守るためには自分で自分を守るしかなく、傷つきそうなことに対していつも緊張して身構えて、警戒アンテナを張っていなければならなかったという背景からきていることが多いです。
ですから私たちは成功体験のほうをより評価するという練習をすることで、自分の中の傷つきトラウマを少しずつ減らしていくことが出来ます。
例えば、保護者会に参加して劣等感を感じて落ち込んでしまったのは2回だけで、それ以外の時は
「新しい知り合いが出来たり、学校の情報が得られて有益だった」などの成功体験を思い出し、そちらのほうをより評価する練習をすることで「保護者会に出席するのが面倒くさい」は「またこの間みたいに思いがけず良い出会いがあるかもしれないから言ってみようかな」に代わるかもしれません。
このようにして私たちは、「過度な傷つきへの恐れ」から少しずつ自由になっていくことが出来ます。
「人間関係がめんどうくさい。だけどさみしい」矛盾した感情への対処法まとめ
ここまで、「人間関係がめんどうくさい。だけどさみしいのは嫌だ」という自分の矛盾した感情とどう向き合えばよいのかについて、その対処の方法をご紹介してきました。
- 1.めんどうの裏にある自分の恐れを知る
- 2.自分の恐れを受け入れる
- 3.そのうえで、自分はどうしたいのかを確認する
- 4.傷ついた体験よりも、成功体験のほうをもっと評価する です。
まとめ
まとめます。
人間関係が苦手でめんどうくさい一方で、さみしくなるのは嫌だという矛盾した感情を持っている人は、実は人間関係を求めていて、人間関係の苦手を克服したいと考えている人が多いです。
めんどうだという感じているのは、自分がもうこれ以上人間関係で傷つきたくないという、
防衛反応であり、私たちは自分で自分を一生懸命守ってあげようとしているのです。
そんな一生懸命生きようとしている自分自身をまずは受け入れて、ねぎらってあげて、
自分の抱えている傷つき感情と少しずつ向き合いながら、自分は本当はどうしたいのか?蓋をしてきた自分の声に、耳を傾けてみませんか?
YouTubeでも解説しています。